菊屋番頭のひとり言

「伊豆・修善寺温泉 老舗旅館 菊屋」宿屋での四苦八苦や七転八倒、喜怒哀楽・・・。            前大番頭から引継いだ文才の無い小番頭。季節の写真をまじえた迷・大奮闘紀。

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   夏目漱石と菊屋

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      明治43年8月夏目漱石先生が胃潰瘍の療養にため修善寺を訪れました。
     ところが病状が悪化し、闘病生活を送る事になった「修善寺の大患(たいかん)」は
     この菊屋が舞台となりました。

     修善寺に来る前年に満州(中国にある日本の領土)を旅行されましたが
     どうもその頃より胃を悪くされていたそうです。
     翌年6月、家族の勧めで診察を受けますが、ここで胃潰瘍の診断をされ
     約1ヶ月半の入院生活を続けました。
     退院後、松山時代の教え子で詩人でも有名な「松根東洋城」さんの勧めで
     病後の静養にどうかということで修善寺行きを誘われます。
     松根さんは当時、北白川宮家(旧宮家の一つ)の御用掛けを勤めており
     宮様のお付で修善寺を訪れる事になっていました。
       (御用掛け・・・・元、宮内省などの命を受けて用務を担当する職の事)

     8月6日の夜、菊屋別館においでになりましたが、急の為に迎えにも上がれず
     お部屋も用意できません。
     この夜は「西村様」という方に、特別に部屋を空けていただき『梅の間』に
     泊っていただきました。
     しかし翌日、別館は「北白川宮様」と「西村様」の全館貸切です。
 
     先生が本館に新しくできた部屋を気に入ってくれましたので
     そちらに移っていただきます。(現 虹の郷に移築)

     到着後3日目には早くも床についてしまう程、日に日に悪化していきます。
     8月24日夜8時ごろ、4回目の吐血量は500gに達し、脳貧血から
     一時は昏睡状態に陥ってしまうほど危険な状態が続いたようです。

     25・26日と日が経つにつれ、回復に向かい10月11日、東京に帰られました。
     修善寺の医者が考案した、舟形の寝台に布団を敷き、それに先生を乗せ
     馬車と電車を乗り継いで三島駅に向かいました。
     当時の番頭が屈強な人足を4名連れて行きましたので
     乗り換えも事なきを得たそうです。

     修善寺の体験は「思い出す事など」・「修善寺日記」につづられ
     その中に死生観の事を伺う事は可能です。

     と、夏目漱石先生と菊屋の関係を、お話させていただきました。
 

     なぜ、菊屋と漱石なの?この疑問・・・・・
     これでお分かり頂けましたでしょうか?


     実はまだ皇族の方々のお話などもあります。
     こちらも重要なお話しになりますので日を改めまして・・・・・・

     ■◇ ノスタルジックな湯回廊菊屋へタイムスリップ ◇■ 

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